ここが私のアナザースカイです(くれたけ#230)
今日はくれたけ心理相談室からのお題であるアナザースカイを紹介します。
【2024年7月のお題-1】(くれたけ#230)「ここが私のアナザースカイです」”第二のふるさと”か”憧れの場所”はどこですか?
第二のふるさとってどこなんだろうって考えたとき、
たくさんの場所が思い浮かびました。
逆に第一のふるさとがなくて、今まで住んできたところが全部第二のふるさとなのかもしれません。
ずいぶんと前に東京で生まれた後、山口県、ニューヨーク、ワシントン、京都、ハワイ、香港と
いろんなところで暮らしてきました。
その中でも、一か所選ぶとしたらわたしが自分自身を受け入れて認められるようになった、
「ハワイ」でしょうか。
ハワイで暮らす前まで、わたしにとってハワイとは
ビーチやリゾートではなく、真珠湾攻撃があった悲しい場所でした。
アメリカでの中学生時代、歴史の授業で、
第二次世界大戦の体験談を祖父母に聞いてクラスで発表するという課題がありました。
当然周りはみんなアメリカ人、敵国の日本人はわたしだけ。
その先生は親戚が戦争で亡くなっていて、日本人に対してのヘイトがあったように今でも思います。
敵国なんて哀しかったけけど、課題をこなすために祖父に国際電話をかけ、レポートの準備をしました。
発表の当日、
わたしは日本のことをwe(わたしたち)と呼ぶか
they(彼等)というかずいぶんと悩みました。
結局わたしは日本人なのに、日本人のことをtheyと言いました。
自国を裏切ったような罪悪感でいっぱいだったけど、アメリカ人に受け入れられたいと必死でした。
だって、差別されたくなかったから。
帰国後、念願の日本での学生生活でしたが、どこか違和感がありました。
なんとか周りと合わせようと努力してみましたが、窮屈で窒息しそうになり、
逃げるようにハワイの大学に交換留学しました。
ハワイでは着陸した時からローカルに間違えられ、わたしはアメリカナイズされていると。
中学時代のわたしだったら大喜びするはずの「アメリカナイズ」という言葉に
拒否反応を起こしました。わたしはアメリカ人じゃない、でも日本人にもなりきれない。
一体何者なのかというアイデンディティーの壁にぶつかっていた時期でした。
その答えを教えてくれたのがハワイです。
ハワイで出会った人たちはそれこそ色んなバックグラウンドから来ていて
わたしはわたしでいいんだと、自分を受け入れることができました。
第二次世界大戦のトラウマから、真珠湾のあるハワイで解放されたのです。
それから数年後になりますが、香港で初めて出会った友達に(影響を与えてくれた人物のお題2で紹介したいと思います)
「わたしたちはどこにも属さないから、どこにでも属せるの」
と言われて、それはなんて素敵なことなんだろうと感じたのを覚えています。
投稿者プロフィール
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香港在住の心理カウンセラーです。
香港では対面の、
その他の地域ではオンラインのカウンセリングをしています。
あなたが幸せでありますように。
Online&In-Person counseling available in English and Japanese.
May you be happy:)
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